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レコレコ「コラムと書評」

2003/1-2, vol.4, pp.73-77

 

橋本努(北海道大学大学院経済学研究科助教授・経済思想)

 

 

ミニコラム(600)「テロリズムの定義不可能性について」

 

 はたしてビン・ラディンをテロリストと呼んでよいだろうか。またアメリカをテロ国家と呼ぶべきだろうか。イラクはどうか。オウム真理教はテロ集団だろうか。

こうした問題を考えるとき、私たちの思考を支える「テロリズム」概念そのものが、極めて曖昧であることに気づく。テロリズムの概念はおそらく定義不可能である。それどころかこの概念は、政治的に曖昧な権力意識を生み出す点で危険でさえあるだろう。テロリズム概念を抽象的に定義すれば、おそらくビン・ラディンもアメリカもテロリストだとする汎テロリズム的世界観(すべての暴力は同等に許されるという思想)を避けることはできない。逆に、テロリストの概念を「制服も記章も身につけない」集団にのみ適用するならば、こんどは国家の暴力行為すべてを正当化するような権力意識を背後で支持することになろう。アメリカ政府の諸機関においてもテロの定義は一致しないばかりか、国連はこの定義をめぐって1970年代以降激しい論争を続けてきた。テロリズムを一般化して理解すると、暴力の背後にある複雑な事象を見失い、短絡した善悪の判断に陥る危険がある。テロリズム一般というものは存在しないのであり、私たちは自らの道徳的判断力を鍛えるためにも、事態を個別にみなければならない。ゲリラ・襲撃者・コマンド・過激派などのより中立的な概念を援用しつつ、その都度具体的な考察を重ねていくほかないのである。

 

 

 

 

書評10

[1]

堀邦維『ニューヨーク知識人 ユダヤ的知性とアメリカ文化』彩流社2000

 

20世紀のアメリカ知識社会において中心的な役割を担ってきたのは、全人口の3%にも満たないユダヤ人であった。例えばダニエル・ベル、ハンナ・アーレント、スーザン・ソンタグ、ライオネル・トリリング、ソール・ベロウ、デヴィッド・リースマンなどはみなユダヤ系であり、1972年に行われたアンケート調査によれば、エリート知識人と呼ばれる20人のうち16人はユダヤ人であった。彼らは文芸的モダニズム(アヴァンギャルド)とマルクス主義を受容する進歩主義から、戦後は反スターリニズム、反共、反学生運動などの経験を経て、1980年代には新保守主義の立場からポストモダニズムの言説を批判する立場に至りつく。アメリカを支えるユダヤ的知性は、その民族性を脱却しつつ、文化をリードしながら外交上の理念を提供してきた。本書はその歴史を鮮やかに描いた快著。

 

1.満足度 4

2.本のリンク  ダニエル・ベル著『イデオロギーの終焉』(全三巻)講談社学術文庫

 

 

 

[2]

中山元編訳『発言 米同時多発テロと23人の思想家たち』朝日出版社2002

 

 テロ事件直後になされた思想家たちの発言集。今読み返してみると、デリダやハーバーマスやジラールやブルデューなどの老思想家たちは、事態をほとんど分析していないことに気づく。対してネグリやラシュディやジジェクなどの奇人思想家たちは、テロ事件の驚異を包摂するだけの思考枠組みをすでに用意していた。彼らは、怪しく危なく常軌を逸したものに対して、思考の野性が自ずと働くようだ。日本の知識人を含めて、「ヨーロッパはよいがアメリカは悪い」といった類の西洋文明に対する診断がなされたが、劣悪なアメリカ大衆文化とブッシュ政権を批判するだけでは、近代化した世俗社会を正当化する論拠を見失ってしまう。平和や反戦を訴えるべく無垢で潔癖な心情を取り戻しても、世界の悪は見えてこない。テロ事件後の世界政治を考えるための格好の一冊だ。

 

1.満足度 3

2.本のリンク  チョムスキー『9.11』文藝春秋2001

 

 

 

[3]

藤原帰一著『デモクラシーの帝国 アメリカ・戦争・現代世界』岩波書店2002

 

 海外に植民地を持たないとしても、アメリカは他国の内政に圧力をかけて世界全体の統治を操縦するだけの支配的勢力をもつ。いまやアメリカの国防費は、ロシア、中国、イギリス、日本、フランスなどの11カ国の国防費を合計した額よりも大きい。またアメリカは、その国民の数よりも、アメリカ国籍を望む人々の人口のほうが多いという現実を前に、自国の利益が世界の利益と重なると考える誘惑に駆られている。加えて、「力の均衡こそが国際政治において戦争を生む」とするウィルソン主義の伝統は、アメリカが単独行為によって世界政府を代行するという考え方を生みだしている。はたして、権力に酔いはじめたアメリカを民主的に制御することはできるのだろうか。著者は楽観論や悲観論に陥ることなく、国連の機能を世界の公共財機構として展望する。

 

1.満足度 4

2.本のリンク アルフレード・ヴァラダン『自由の帝国 アメリカン・システムの世紀』NTT出版2000

 

 

 

[4]

ハワード・ジン著『ソーホーのマルクス マルクスの現代アメリカ批評』こぶし書房2002

 

 大陸を追われてロンドンの汚いソーホー地区に住み着いたカール・マルクス。そのマルクスを今度は、現代世界の中心地であるニューヨークのファッション街、ソーホー地区に一時間だけ蘇らせてみてはどうか。本書は実際に上演されたマルクス一人芝居の脚本である。マルクス思想の現代的意義を問うよりも、資料や史実に基づいて、当時のマルクスにまつわるさまざまなエピソードを哀愁深く描いている。リカードの『経済学原理』を妻のイェニーが質屋に出してしまったとか、末っ子のエリナは八歳のときにすでに革命家としての才能を発揮したとか、あるいは、巨漢バクーニンとマルクスの会話など、興味深いエピソードが尽きない人口の1%が富の40%を所有するアメリカにおいて、革命家として生きたマルクスの人間的魅力はいまなお失われていない。

 

1.満足度 3

2.本のリンク ハワード・ジン『反権力の時代』合同出版1967

 

 

 

[5]

ウォルター・ラカー著/帆足真理子訳『大量殺戮兵器を持った狂信者たち ニューテロリズムの衝撃』朝日新聞社2002

 

 1970年代までのテロリズムは左翼過激派にみられるように、イデオロギーと社会構造の観点からその動機をうまく説明することができた。しかし新しいテロリズムは、むしろ狂信的で好戦的な先鋭分子の精神構造から説明されるだろう。利用可能な生物化学兵器を手にして自らの全能感を肥大化させる者は、パラノイア的被害妄想に突き動かされて、明確な政治的要求を持たずに大量破壊に突き進む危険がある。祈ることと死ぬこと以外に欲しない人々、支配と殺戮のみを欲する人々、この二つのタイプに対処する理念は、18世紀啓蒙思想のイスラム批判にさかのぼることができる。自由が抑圧された51カ国のうち45カ国までがイスラム諸国であるというが、ならばイスラムに自由を導入することが必要だ。貧困対策よりも大義をもつ若者の数を減らすことが重要なのだ。

 

1.満足度 3

2.本のリンク  ジュディス・ミラー他『バイオテロ』朝日新聞社

 

 

 

[6]

チャルマーズ・ジョンソン著、鈴木主税訳『アメリカ帝国への報復』集英社2000

 

 冷戦後の10年間に世界の軍備は三分の一にまで縮小されたが、アメリカだけは軍備を減らさず、いまや世界の総軍事支出の三分の一を占める軍事大国となった。軍事関係の生産は国内総生産の四分の一を占め、ますます成長する最大の兵器輸出国として君臨する軍事帝国アメリカ。イラクが1980年代に購入した兵器はアメリカ製であり、ビン・ラディン

が用いた兵器もアメリカ製であった。まさに軍事帝国という名に相応しいアメリカは、他方では資本主義の勢力圏を維持するために、台湾の蒋介石やフィリピンのマルコスなどの独裁者たちを多く擁護してきた。湾岸戦争においてもアメリカは最終的に金銭上の利得を得た。世界を帝国主義的に搾取してきたアメリカは現在、その報復を受け始めているのだと警告する。

 

1.満足度 3

2.本のリンク  グレアム・グリーン著/田中西二郎訳『おとなしいアメリカ人』早川書房

 

 

 

[7]

ジョセフ・ナイ著/山岡洋一訳『アメリカへの警告 21世紀国際政治のパワー・ゲーム』日本経済新聞社2002

 

 21世紀においてもアメリカは、長期にわたってその覇権を維持するだろう。19世紀のイギリスは国民総生産においてロシアやアメリカに追い抜かれていたが、強力なソフト・パワーを持って当時の覇権をリードした。同様に現在のアメリカは、たとえ軍事的・政治的優位を失っても、エンターテインメント産業や科学技術力といったソフト面での魅力によって覇権を維持しうるであろう。いまや年間50万人の留学生を受け入れ、シリコン・バレーではアジアの起業家たちの心を摑むことによって、アメリカは長期的な意味での国の安全保障を高めることに成功している。必要なのは国際協調主義に基づいて、軍事力よりも外交手段に予算を回し、ソフト面での国益増進を図ることだと著者は主張する。

 

1.満足度 3

2.本のリンク  ジョゼフ・ナイ『不滅の大国アメリカ』読売新聞社

 

 

[8]

ブルース・ホフマン著/上野元美訳『テロリズム 正義という名の邪悪な殺戮』原書房1999

 

 イギリスにあるテロリズムと政治的暴力の研究センター所長が著した本書は、新たに勃興するテロリズムの本質について透徹した分析を示す労作。地下鉄サリン事件、1993年の世界貿易センタービル爆破事件、そしてオクラホマ・シティのビル爆破事件は、テロリズムの歴史を塗り替えた。いまや大量破壊兵器が、イデオロギーとは関係ない狂信によって無差別殺人に利用されるという事態が生じている。従来のテロリストたちは自らをテロリストと名乗ることに誇りを感じるだけの社会的背景をもちえたが、現代のテロリストたちは「世俗社会的なるもの」から逃れ、信条という内面的な自尊心をひたすら求めるような徹底性を備えている。政治的譲歩や金銭的取引が通用しない相手に対してなしうる対処は、先取、すなわち先制的な予防であるという。

 

1.満足度 3

2.本のリンク  

 

 

[9]

浅見克彦著『消費・戯れ・権力 カルチュラル・スタディーズの視座からの文化=経済システム批判』社会評論社2002

 

 1980年代の社会現象として、軽やかに戯れるポスト・モダン的消費主体が賞揚された。いまその人たちは不況の中で、どのような自己変容を経験しているのだろうか。文化的な差異化の戯れに快楽を得る流動的で多元的な主体は、高度化した資本の論理に身をゆだねるしなやかな美学をもっていたが、そうした美学が「他者性の不安」や「断片化の危機」に陥るとき、人は他者性を遮断した「ねぐら(親密圏)」に生活の安堵感を求めるかもしれない。これに対して著者はカルチュラル・スタディーズの理論的到達点に立って、アイデンティティの問題を文化-政治的な側面から再び問い始める。既存のマルクス政治経済学の限界を指摘しつつ、大衆消費社会と広告コミュニケーションの権力的操作性を解明した本書は、戯れの失調を来たした消費社会に対する鋭利な批判書だ。

 

1.満足度 4

2.本のリンク  間々田孝夫『消費社会論』有斐閣2000

 

 

 

[10]

トッド・ギトリン『アメリカの文化戦争 たそがれゆく共通の夢』彩流社2001

 

 1960年代以降のアメリカの大学において権力を握ったのは、左翼リベラル、すなわち西洋中心主義に反対し、原爆投下や先住民族に対する搾取に対してアメリカを批判し、中絶やゲイ・レズビアンや多文化主義を認めていく民主党系の進歩主義であった。しかし1980年代以降の「モラル・マジョリティ」となった保守派は、こうした左派の活動に対して攻撃を挑む。アメリカの公共放送はリベラルなエリートのための番組でしかないとか、1994年に改定された歴史教育水準は多文化主義に偏りすぎているといった批判である。こうした保守派の攻勢に対して左翼知識人は無力で分裂していた。しかし左翼を自称する著者はこの文化戦争にメスを入れながら積極的に応答し、「啓蒙主義に立つ民主主義」を呼びかける。現代アメリカを知るための重要な一冊だ。

 

1.満足度 4

2.本のリンク  トッド・ギトリン『60年代アメリカ』彩流社